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タジキスタン北部(10〜13世紀)

水差し(生き物を模った)
陶器.釉薬.高さ24.5,長さ24,幅15.三つ足で鳥の体と或る動物の頭を持った幻想的な生き物を描く.胸には,中央に点がある三角形で充たされた円花装飾がある.翼は浮き彫りで示されている.その翼には多くの光線を伴った星と点による模様で充たされた円花装飾があり,翼の端には斜めの陰影がある.肩には深く十字を刻んだ円花装飾がある.背中には釉薬の下に彫刻された装飾がある.釉薬は緑の色調を帯びた白.頭は丸い.水は楕円の口と丸い穴で示される目から注がれる.非常に大雑把な取っ手が首と尾の付け根とに付けられており,そこは(水差しの)くびの下部を残しており,そこから水を注いだ. 10世紀.Kalai Kahkaha III 任意採取.207/2454.
Лит.: Смирнова 1953, с. 200 - 201, рис. 14; ЖСТ 66.

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Mihrab
粘土.彫刻.上部は丸天井式のアーチ(高さ8,広さ70,深さ30),下部は平らな板(高さ107,広さ70,厚さ2から2.5)である.丸天井式の先端は遠近法で縮小された二つのランセット・アーチの輪郭で構成される.大きなアーチ端の中心の構成として,格子縞模様と二重の三つ葉模様との交互で充たされた,丸いロケットを配している.また,刻まれたひし形あるいは様式化された葉の絵による網で装飾された,アーモンド形の裂片の枠組み中には雷文が配されている.端の内側の装飾は,半円形の筋によって囲まれた,ひし形の透かし彫りの帯によって描かれている.Mihrabの大きなアーチのアーキヴォルト(アーチ縁に沿って施される刳形装飾)は植物装飾をともなったKufi筆記体で刻まれたアラブ銘文で装飾されている.丸天井の小さなアーチから,その枠をつけている半円形の縁飾りの残りと共に,ランセット・アーチの完成の極致が保存されたのである.Mihrabの下部は,内側に小さなアーチで縁取りをした平らな板である.板は端を装飾された矩形の枠組みで囲まれている.アーチのTimpan部分は,らせん状の線からなる網細工の形をした細かい植物の若枝で充たされている.それは,中近東にとって伝統的な芸術である「
翼を広げた」モチーフを明らかにしており,アーチ縁飾りの深い彫刻"Zamok"の技術で作られている.10世紀から11世紀 Asht(Leninabad)の居住地
Лит.: Массон 1940, с. 52 - 54; Пугаченкова 1950; Литвинский 1956; Хмельницкий - Негматов 1963.

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Mihrab

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カップ
陶器.絵付け透明釉薬.高さ10.5,口径22.5,糸底径9.5.広く平らな注ぎ口のあるカップ.カップの内側の表面は白い雪花石膏の上に黒と茶の顔料で描かれている.注ぎ口のまわりには,内側から三つの丸い懸け具のある花輪の形をした装飾がある.縁には,上の縁にアラブ文字と「真珠」の様式化した絵がある.カップの平らな表面には,交錯する編み物の囲みの中,対角線で分割された白い五角形が,明るい茶色を背景にして描かれている.9世紀から11世紀 陶器のブロック Bunjikat

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カップ
陶器.絵付け透明釉薬.高さ5.0,直径19.5.内側との境界から縁の上,白い雪花石膏の上に黒褐色の巻いたつると様式化された植物の若枝がある.カップの中央には赤いくちばしと白い目のヤマウズラが描かれる.緑色の鳥の体は黒い線によって描かれ,翼上の羽は赤と黒の色で描写される.陶器のブロック Bunjikat.
9世紀から11世紀.

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容器(断片)
陶器.釉薬.高さ14,皿の直径6.本体はビンの形,覆い部分に浅い縦の溝.白い釉薬の背景に茶で,様式化された銘文の装飾(ал-йумн−「繁栄」)が描かれる. 10世紀から12世紀.Ura-tepa市.
Лит.: Ранов - Салтовская 1961, с. 127.

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カップ
シャンデリア.直径25,高さ15.明確に表現された皿,底部から上端の壁まで広がる.カップ内側の底部,円花装飾−ロケットの中に,女の頭をした幻想的な生き物の絵(金茶色の背景に対して残された)がある.壁には,縦の線で区切られた,六つの広い帯(植物装飾の繰り返しで充たされた)と六つの狭い帯(三つの「線」の中にある擬似銘文によって充たされた)による模様(白い背景に対して金茶色の絵)がある.外側で,壁面は二重の垂直な線によって,繰り返され互いに織り合わされた「若枝」を伴った六つのひさしに分配される.
12世紀. Kalai Bolo (Isfara地域), 1952,
мусорная яма 1. Лит.: Давидович - Литвинский 1955, с. 102 - 104, рис. 49.

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カップ

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スルタン・バーブル銘文の石
51×45×16.自然石表面の目立つ箇所(20×30)の中に,Saadiの"Bustan"から引用され,タジク語韻文(真中の2行は,残りの行の左に,それらに対して垂直な行)で書かれた六行の詩がNastalikの筆記体で彫られている.
「私はJamshidが天性において至福であると聞いた.
 水源のそばにて,私は石に記した.」
「私と同じように,人々はこの水源のそばで憩い,
 そして去っていった,[永久に]その目を閉じるために.
 我々は勇気と力によって平和を獲得した.
 しかし,自分自身を墓場へと運び去ることはない.」
                           (翻訳:М. Салье)
右の離れた行に,アラビア語で「Baburこれを記す.917(ヘジラ暦=1511から1512)」とある.
 第五代のTimurの後裔である,スルタン・Zahiruddin Muhammad Bobur(1483年から1530年)はFargonaの統治者としてその経歴を出発させている.Shaybanidとの戦いで三度Samarkandを失い,ある時にはKabulを支配し,インドにおいて大ムガール帝国の創始者として歴史にとどまった.彼自身,劇的な出来事の自己の完全な生涯を,編集された"Boburnome" ("Boburの覚書")で詳細に記述した.Zeravshan上流における彼の滞在についての報告は,Obburdon居住地において一致している.それは水源のそばで二行詩三連を石に刻み与えたことの事実について言及している.調査は現地の住人の協力を得て,1953年,若い大学院生Ахрором Мухтаровによって行われ,碑文を発見するという栄誉を得た.
Лит.: Мухтаров 1954, с. 109 - 115.

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